本当の節目はカレンダーに現れない
- 1 日前
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執筆者 Sakamoto
4月という時間は、日本人にとってわかりやすい「節目」としてやってくる。
節目とは、時間の流れの中に現れる、ひとつの“切り替わりのポイント”のようなもの。
新しい環境、変わる人間関係、少しだけ変わる日々のリズム。目に見える変化があるとき、僕たちはそれを「区切り」として認識しやすい。誰にとっても、同じように訪れる時間のリズム。
けれど、それとは別に、自分自身にとっての“切り替わりのポイント”がある。それは、カレンダーの上には決して現れない。
誰かのふとした一言や、読んだ本の中の一文。ある場所に立ったときの空気や、何気なく過ごす時間の中で。
静かに、しかし確かな感覚として、内側のレイヤーがふっと動く瞬間がある。
そしてその変化は、多くの場合、思考よりも先に身体に現れている。
言葉にはできない、わずかな違和感。あるいは、理由のない軽やかさや、心地よさ。
身体は常に外側との関係の中で揺らぎながら、その時々の変化を受け取っている。
僕たちはそれを「考えて理解している」と思いがちだけれど、実際には、身体の反応が先にあり、そのあとに思考が追いついていることも多い。だからこそ、その反応を受け取れる状態でいることが大切になる。
身体がこわばり、感覚が鈍っていると、変化の兆しがあっても、それに気づくことができない。
一方で、身体の巡りが整い、感覚がひらいていると、ほんの小さな変化にも自然と気づけるようになる。(僕はこの感覚がとても好きだ)
そのとき、無理に答えを探さなくても、次に進む方向が、感覚として立ち上がってくることがある。
それは何か特別なことが起きているというより、自分の本来の“流れ”に戻っていくような感覚に近いのだと思う。
節目は、時間の中だけにあるものだけではなく、自分の内側にも静かに訪れている。
そしてその“変容への節目”は、身体と心が整っているときほど、無理なく、自然なかたちで立ち現れてくる。
何かを大きく変えようとしなくてもいい。心地よさの中でふっとゆるむ、その感覚を大切にしながら、まずは、いまの身体の状態に目を向けてみる。その積み重ねの中で、必要な変化は、必要なタイミングで静かに、そして確かなかたちで起きていく。
4月という時間の節目が、あらためてそのことを思い出させてくれている。