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冬至 23-24



冬至を過ぎ、

当サロンもお陰様で4年目を迎えることとなりました。


これもひとえに

今までお越しくださった皆様に支えられて

ここまで続けて来れたと実感しております。

本当に心より感謝申し上げます。


気づけば3年が経ち、CS60の施術を始めてから

数えると5年半。

さまざまな出会いに恵まれ、

日々を楽しく過ごさせていただいています。


考えると僕自身、心身を調えることで

いろんな道が開けてきたところがあって、

脳化社会の進む昨今において

「身体性」に軸をおくことの意味を改めて

実感しています。


出会いや別れ、嬉しいことや悲しいことだと

思うようなことが起きることもまた、

その本質的意味を「身体」で感じることで

どのような作用に対しても感謝の気持ちが湧いてきます。


まだまだ僕もサロンも道半ばで、

やりたいこともたくさんあります。

そのためにも心身の健康を第一に考え、

お越しくださる皆様の豊かな日常の

サポートができるように努力していきます。


共に各々それぞれが理想とする「彩りある日常」を

描いていきましょう。


僕の敬愛する大正時代に本当の自由を求めて

社会と戦った、大杉栄という人が

過去にこんなことを言っています。


「自分自身の生活、自主自治の生活を得たいのだ。

自分で、その生活、自分の運命を決定したいのだ。

少なくともその決定にあずかりたいのだ。」


「むずかしく言えば、自由発意と自由合意のけいこだ。

この発意と合意との自由のないところになんの自由がある。

なんの正義がある。」


彼は、関東大震災が起きた時、その後の社会の騒動を

揺動したとして警察に捕えられ(実際は何もしていない、人助けをしていたのだけれど)

人知れず虐殺され井戸に放り投げられて亡くなりました。


自由発意とは自分の身体性に帰着した心の声を聞くことの大切さ、

自由合意とはそれぞれが各々の表現をすることの自由、

そしてそれが混ざり合い、人々が共にハーモニーを奏でる美しさ、

を説いているのではないかと思います。


自由という言葉を使うだけで、危険分子と言われた時代。


あれから100年。


自由という言葉はごく普通に語れるありがたい時代に

なったけれど、

本当の心の自由を手にしている人は実は少ない。


今この時代に僕たちは

もっともっと心の自由を求めて自分自身と向き合わなければ

いけないのかも知れないですね。


そのためにも身体と向き合って、

自由発意が起きる自己を見つけていきたいですね。


「大杉栄伝 永遠のアナキズム」

        栗原 康 著







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