リトリートと聞くと、日常から離れて自然の中で心身をリフレッシュする、
というようなニュアンスだと理解していたけれど、
本来の語源には軍事用語としての
「撤退」や「退却」という言葉のベースがあるというのは知らなかった。
日常という毎日を戦い、自分を見失ってしまうような時に
一旦立ち止まる、というような使い方なのかもしれないけれど、
どこかに出向き、自然と対峙しながら自己を見つめ直すというのは
日常が大変なものだという前提に立っているからでもある。
非日常を望む日常というのもなんだか少しだけ寂しくもあるけれど、
それだけ現代の日常には立ち止まる事さえままならない事情を
皆、それぞれに抱えているのだと思う。
そんな日常と、非日常には果たして境界線はあるのだろうか。
個人的に思う事は、
境界線はおそらくはっきりとした形であると思うのだけれど、
日々の暮らしの中でも非日常というべきリトリートな瞬間がきっとあって、
その瞬間に意識をフォーカスできるような状態に身を委ねることが、
日常と非日常の境界線をちょっとだけ溶け合わせてくれるのかもしれない。
この本の中では「退屈」を消費するのではなく
浪費するという考え方が言及されているけれど、
それもきっとそういうことなんだと思うし、
生き物として共有している「環世界」に入り込めるように
心身を調えていければ、日常が非日常でもあるという
ブレイクスルーを掴めるかもしれない。
虫眼鏡で対象を拡大するかの如く、
日常のちょっとした出来事をさらりと受け流さずに拡大して、
その時間を存分に味わい尽くす、
その瞬間が人生の一生の幸せでもあるかのような、
そんな心のゆとりを持っていたいですね。
日々を流れるように過ごしている事にふと意識が向いたならば、
それはきっとどこかからのメッセージだと思って、
ちょっとだけ立ち止まって、
美味しいコーヒーでも飲みながらこの本を手にとってみてほしいな。
「WIRED VOL.48 RETREAT 未来への退却(リトリート)」
Comments