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星の時間



- 時間を超えてつづく決定が、或る一定の日付の中に、或るひとときの中に、

しばしばただ一分間の中に圧縮されるそんな劇的な緊密の時間、

運命を孕むそんな時間は、個人の一生の中でも歴史の経路の中でも稀にしかない -


作家のシュテファン・ツヴァイクは『人類の星の時間』

という著書の中で「星の時間」についてこう書いている。

と、そんな一節から始まる中沢新一さんのこの本は、明治の究極のエコロジストである

南方熊楠に訪れたその「星の時間」は「レンマによる科学」を着想したことだと

主張されている。


レンマとロゴス。

著者の本によく出てくるこの二つの言葉に、

とりわけ個人的に興味を抱いているのだけれど、「ロゴス」は言語化できるもの

といった感じで、「レンマ」は捉える、把握する、など、言語化できないような

いわゆる自然力のようなもの。

このレンマの自然力が近現代になるにつれ、多くの人が失ってきた。

人間にあっては本来、意識の外の無意識を通じて生命と心に働きをかけてきたのだけれど、

ロゴスに引っ張られすぎるとこのレンマの自然力はより捉えることができなくなっていく。


これは僕自身「対話」をするようになってから

特に実感するところで、

レンマを纏った人との対話はとても刺激があるのだけれど、

ロゴスに引っ張られすぎた人との対話は時に一方通行のようなこともあったりする。


僕は対話を通じて「わかりあう」ということの奥深さを感じているけれど、

対話は決して「ロゴス」の掛け合いではなく、己の意識と身体の変容を促す

最良の手立てでもあると思っている。


そこには言葉という「ロゴス」を通じて「レンマ」を捉えるというような

意識の変容が混じっていると感じていて、

現代人が見失ってきてしまった「レンマ」の自然力は

今後ますます重要となってくると思うし、

そのレンマの自然力はいわゆる「場」と繋がっているということが

重要なポイントでもあったりして‥


ちょっと話が広がり過ぎてしまいましたが、

南方熊楠という人は地球環境の危機に立ち向かおうとする思想運動の先駆けであり、

「自然のエコロジー」「社会のエコロジー」「精神のエコロジー」という

「三つのエコロジー」を提唱した人であるとこの本では書かれていて

ここではその詳細は省きますが、

南方熊楠の魅力をもっと知りたい、という人や

ロゴスとレンマについて考えてみたい、という人にお薦めの本だと思います。


     「熊楠の星の時間」  

           中沢 新一




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